新庄剛志の両親は極貧で破天荒だったようです。
父親は酒好きで飲み歩き、母親は気性が荒すぎて包丁を持ち出したりしたというエピソードまであります。見た目は派手ですが、中身がとても優しい新庄剛志が出来上がったのはこの両親があったからなんだとよくわかります。
ということで、新庄剛志の破天荒な両親(父親・母親)について詳しくお伝えしていきます。
新庄剛志の家族は両親と姉の4人
新庄剛志の家族は両親(父親・母親)と姉の4人家族です。新庄剛志の家族仲はとても良いようです。
新庄剛志の父親は2011年に70歳で亡くなっています。新庄剛志の姉は新庄剛志よりも2歳年上です。
- 新庄剛志の父親:新庄英敏さん(1941年生まれ・2011年亡くなる)
- 新庄剛志の母親:新庄文子さん(1944年前後生まれ)
- 新庄剛志の姉:新庄真由美さん(1970年生まれ)
新庄剛志の家族の勝負色は「赤」
新庄剛志の家族の勝負色は「赤」です。現在でこそ新庄剛志といえば「赤」と連想しますが、それは子供時代の新庄剛志から来ているようです。
- 新庄剛志が迷子にならないように赤
- 新庄剛志が事故に遭わないように赤
- 父親も母親とのデートの時には赤を着る
新庄剛志は子供の頃からチョロチョロと動き回り、じっとしていられない性格だったと父親が話していました。祭りに行けばすぐにいなくなるし、交通事故には8回もあっています。
新庄剛志の両親は迷子にならないか、事故に遭わないかと心配で目立つ赤のセーターやTシャツを新庄剛志に着せるようにしていたとか。
新庄剛志の父親も、デートの時には赤色の服を着るなんてほっこりエピソードも。
自由奔放に遊ばせてやりたいが、迷子にならないかも心配で、どこにいても目立つように剛志には常に真っ赤なセーターやシャツを着せていたんです。それが“新庄カラー”になっている。赤は闘争心の色です。我が家の基本色、勝負色とでも言いましょうか、私も家内とのデートの時によく身につけていました
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/d53155c82c2e96784fbae4dd90081286396a702e?page=1
新庄剛志の家族が貧乏だったエピソード
新庄剛志の家族はちょ〜極貧だったそうです。新庄剛志の父親は仕事をしていましたが、だいぶ家計は苦しかったようですね。
現在の新庄剛志の姿からは想像できないですが、人生どこでどう何が起こるかわからないな〜とつくづく思います。
新庄剛志は子供の頃から運動神経がとてもよかったので、どのスポーツを極めるべきか父親に聞いたそう。新庄剛志の家族が貧乏だったので、一番お金がもらえるスポーツということで野球になったとか。
新庄剛志の実家の窓はビニール袋だった?
新庄剛志の家族が極貧で実家も本当にボロボロだったそうです。窓ガラスが割れたら付け替えるお金がないためにビニール袋で代用。
車も割れた窓にはビニール袋を使っていたため、新庄剛志は「なんでパタパタ音がするんだろう?」と子供ながらに疑問には思っていたそうです。
新庄剛志の実家
- ぼっとんトイレ
- 五右衛門風呂(同じお湯を1週間)
- 窓ガラスはビニール袋
- 車の窓もビニール袋
新庄剛志の実家の夕飯はゆで卵のみ
新庄剛志の実家で食事は朝食なしの夕飯ゆで卵のみ。空腹は給食で満たせという教育方針だったのでしょうか。
そんな名残でプロ野球に選手になった後も、夕飯パン一個とかで済ませていた時期もあるようです。人間の体って対応していくようにできているもんなんですね。笑
- 朝食なし
- 夕飯は茹で卵のみ
- 給食でお腹を満たす
- インスタントラーメンと姉と半分こ
新庄剛志の実家で買ってもらったものは?
新庄剛志の家族は極貧だったので幼い頃から欲しい物を買ってもらえず、ねだったこともほぼないと話しています。
一度だけ野球の練習のために革手袋が欲しいと父親に話したら、父親は自分の仕事用の軍手を買うお金を使って革手袋を買ってくれたそう。植木職人で軍手は必須ですが、素手で仕事をすることとなったために手はガサガサに。
後で母ちゃんから理由を教えてもらった。
「お父さんは、仕事に使う軍手のお金で、あんたの手袋を買ったんだよ。素手で仕事をしていたからやろ」
新庄剛志の両親の破天荒のエピソードについては父親と母親に分けてお伝えしますね。新庄剛志という人物が出来上がった背景がよーーくわかりますよ。
ちなみに、そんな子供時代の経験から新庄剛志の名言が炸裂しているようです!
新庄剛志の父親:新庄英敏
新庄剛志の父親の名前は新庄英敏さん。
新庄剛志の父親は1942年生まれで、2011年8月5日に食道癌で70歳で亡くなっています。
新庄剛志の父親のエピソードがありすぎます。現在の新庄剛志があるのは間違いなく父親の存在が大きかったようです。
- 植木職人
- 酒飲み
- 喧嘩っ早い
- 物を大切にする
- お寺で育つ
- 合気道の先生
- 新庄剛志に「赤」を着せる
新庄剛志は「気持ち」が大切だとよく言っていますが、それは父親からきているもののようです。
子供時代に新庄剛志は「頭痛も気持ちで治せ」と言われたけれど、本当に辛くて父親に頭痛の薬をもらったそう。
そうしたら2分で治ったようですが、実はその薬は下痢の薬。「あ〜!気持ちで治った!」と気付かされたと話しています。
せめてラムネとかお菓子をあげればよかったのに、下痢の薬って。笑
新庄剛志の父親は植木職人
新庄剛志の父親は造園業「新庄造園」を営む植木職人でした。子育ては木を育てるのを同じだと話しています。
- 子育てには「父親の役割」が大きい
- 父親こそ子育ての主役に座るべき
- しっかりと子供とふれ合うことが大事
- 「見守る」ことが子育てのもっとも大切なこと
新庄剛志の父親は仕事道具をとても大事にしていたそうです。そんな父親を見て新庄剛志もプロ野球選手になって最初の給料で買った7,500円のグローブを17年間大切に使い続けたそうです。
ボロボロになるまで使い続けたそのグローブは父親の棺桶に一緒に入れて燃やしたと話しています。
新庄剛志の父親が野球を始めたきっかけ
新庄剛志が野球を始めたきっかけは父親でした。
新庄剛志の父親は元々自分が野球選手になりたかったけれど、盲腸を放って置いたら破裂してしまったために断念。運動神経が抜群によかった新庄剛志に自分の夢を託す形でソフトボールを始めさせます。
新庄剛志の父親が言うには新庄剛志は7ヶ月の時に歩き出し、8ヶ月の時に走り出したのでスポーツ選手になるはずだ!と確信していたようです。
現在も残っている「長丘ファイターズ」も新庄剛志の父親が、「剛志、ソフトボールのチームを自分で作ってみ」と言ったのがきっかけ。
新庄剛志の父親は酒飲み
新庄剛志の父親は酒飲みだったそうです。新庄剛志の父親は仕事が終わると居酒屋に通うのが日課で特に立ち飲み屋がお気に入り。
小学生になる前から新庄剛志も一緒に居酒屋によく連れて行かれていたそうです。そんな小さい子供を連れて行っちゃダメでしょう〜。新庄剛志の父親破天荒ですね。
新庄剛志の父親は酒飲みに行って帰りが遅くなっても、朝6時には必ず起きて仕事に行っていたという強者。ひどい熱が出ても飲みには必ず出かける大の酒好きだったようです。
やっていることはめちゃくちゃだけど、「疲れた」とか「今日は休み」なんて絶対に言わないところは尊敬していた。
新庄剛志の父親は喧嘩っ早い
新庄剛志の父親は喧嘩っ早いところもあったそうです。新庄剛志も一緒に居酒屋に連れて行かれていたので、大人の喧嘩を見て泣いてしまったこともあるとか。
- 居酒屋のお客さんとよく喧嘩
- 暴走族に対して「うるせーぞ!」
- ボコボコにされてあばら骨を折る
新庄剛志の父親は喧嘩をして怪我をした次の日も、普通に仕事に行っていたと話しています。
新庄剛志の母親:新庄文子
新庄剛志の母親はの名前は新庄文子さん。
新庄剛志は母親の実家長崎県津島市(対馬市)の四畳半で生まれています。新庄剛志の母親もなかなかユニークな人物です。
新庄剛志の子供時代の好物は、母親がたまに作ってくれるきな粉餅と話していました。
- 気性が荒い
- 感情の起伏が激しい
- 超ポジティブ
- 低血圧
- 軽く嘘をつく
母親のつくる『きなこ餅』があれば満足していた。あの体は『きなこ餅』でつくった体なんです。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/d53155c82c2e96784fbae4dd90081286396a702e?page=2
新庄剛志の母親が包丁振り回す
新庄剛志の母親が気性が荒く、父親に包丁を振りかざしたことがあるそうです。
新庄剛志の父親が毎晩居酒屋でお酒を飲んで帰ってくるというストーリーはお伝えしましたが、その父親が家に帰ってきてやらかします。
新庄剛志の母親が布団で寝ているところ、父親が酔っ払って帰ってきて「おい起きろ」と蹴ったそうです。この後に起こったことを簡単にお伝えしますね。
- 母親ガバッと起き上がる
- 台所に向かう
- 包丁を取り出す
- 大声と共に父親に突っ込んでいく
- 父親合気道でかわして投げ飛ばす
- 母親起き上がって再び襲いかかる
新庄剛志の父親はお寺で育って合気道の先生でもあったので、うまくかわして九死に一生を得たようです。新庄剛志の母親は日頃の鬱憤が大爆発してしまったようですね。
気性が荒い2人はよく衝突していたそうです。
新庄剛志の母親は超ポジティブ
新庄剛志の母親は超ポジティブです。新庄剛志の両親が極貧だったため、運動会や野球の練習の時の靴は上履き。
まあもちろん上履きは運動用の靴ではないので、すぐボロボロになりますよね。
なので新庄剛志は運動会の駆けっこには裸足で参加。運動神経抜群ですから、ぶっちぎりの一位。
そこで新庄剛志の母親、ドヤ顔で一言。
そりゃあ上履きだったらズレますよと笑ってしまいます。さすがにかわいそうに思ったのかプーマの靴を買ってあげたそうです。
新庄剛志は嬉しさのあまり何度も靴紐を結び直してたら、母親に引っ叩かれたと話していました。優しいのか厳しいのかどっちなんでしょう。
新庄剛志の母親は軽く嘘をつく
新庄剛志がタイガースで監督ともめたために引退すると宣言した時に、新庄剛志の母親は「父親が倒れた」と軽く嘘をついたそうです。
新庄剛志は自分の引退が原因で父親が倒れたかと思い込んで、もう一度プレーをするからと言ったそう。
しかし実際には父親は元気で、居酒屋で普通に飲んでいたのが目撃されています。新庄剛志の父親も面白くて、「飲み歩くのが病気」だなんて記者に言い訳したそうです。
新庄剛志の母親は引退を思い止めてもらおうと、軽くそんな嘘をついたいうエピソードでした。
新庄剛志の姉:新庄真由美
新庄剛志の姉の名前は新庄真由美さん。
1970年生まれで新庄剛志も2つ年上です。なので2021年現在の年齢は51歳となります。
- 新庄剛志の姉は難病を患っている
- 新庄剛志の姉は偏差値76
- 新庄剛志の姉は運動神経抜群
- 新庄剛志と姉の「アイスクリーム事件」
新庄剛志の姉は難病を患っている
新庄剛志の姉は重い難病を患っていると話していました。
- 動くと筋肉が収縮して肌が黒くなる
- 95歳見たいな身体
新庄剛志がもう一度野球の舞台に帰ってきたのは、難病を患っている姉に頑張っている姿を見せたいから。父親が倒れたと聞いた時も(仮病でしたが)「自分が野球で頑張る姿を見せるから、元気になって欲しい」と言って引退を考え直していましたね。
新庄剛志の姉の病名は公式には公表されていませんが「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」ではないかとネット上では噂されています。
2歳離れた姉が「動くと筋肉がぐーっと収縮し、肌が黒くなる難病なんですよ。95歳みたいな身体になってる」と重い病気であることを明かし、「この野球を目指すというのは姉ちゃんにも見せたいというのもある」と、現役復帰の一因となっていると語る。
新庄剛志の姉は偏差値76で頭脳明晰
新庄剛志の姉は頭脳明晰で偏差値76の高校に通っていたそうです。
新庄剛志の姉は家で特に勉強もしないで常にトップの成績を保っていたそうです
ちなみに新庄剛志は父親にスポーツで頑張るなら勉強しなくていいと言われてたので、勉強はほどほどだったようです。絶対頭いいと思いますが!
新庄剛志が優しくなったのは姉のせい(おかげ)
新庄剛志は子供の頃からとても優しい性格ですが、そのきっかけが姉だと話していました。というのも、新庄剛志と姉の「アイスクリーム事件」があったからです。
- 家族旅行でアイスクリームを1つずつ買ってもらう
- 新庄剛志の姉が人にぶつかってアイスクリームを落としてしまう
- 新庄剛志の姉は泣いてしまう
- 新庄剛志は自分の持っていたアイスクリームを「食べていいよ」
- 新庄剛志の姉は半分こせずにアイスクリームを全部平らげた
アイスクリーム普通は半分こするものかと思いますよね。笑
新庄剛志はこの時に「なんだこら!」と怒るのではなく「優しくなりたいな」と思ったそうです。なんて良い子なんでしょうか。
新庄剛志の姉は運動神経も抜群
新庄剛志の姉は頭がいいだけではなく、運動神経も抜群に良かったそうです。
新庄剛志の父親も母親も運動神経が良かったそうなので、これは遺伝ですね。新庄一家の最強DNAをしっかり引き継いでいたのでしょう。
新庄剛志の姉が患っている難病にも、この持ち前の身体能力で打ち勝ってもらいたいですね!辛いでしょうが。。