2021年現在も変わらぬ美貌で圧倒的な存在感を放つ宮沢りえの母親が、ひどいクズ親だったと言われているのをご存知でしょうか?
「りえママ」「ステージママ」「母子一体」「一卵性母娘」と呼ばれるほど、娘の宮沢りえの仕事、恋愛、プライベートの一切を管理してきた母親、宮沢光子。
10代の宮沢りえにヌード写真集を出させたり肉弾接待をさせたりと普通では考えにくい母と娘の関係性ですが、それでも現在の大女優・宮沢りえがいるのは母親の存在があったからこそ。
といわけで、宮沢りえと母親「宮沢光子」との悲劇的な関係について詳しくお伝えします。
宮沢りえの母親はひどいクズ親?
宮沢りえの母親「宮沢光子」とは一体どんな人物だったのでしょうか?
ひどいクズ親なんて言われていますが、それでもお互いに依存し合っていた宮沢りえと母親です。
どうも偏った母と娘の愛の形があったように思われますね。
- 宮沢りえに肉弾接待をさせる
- 18歳でヌード写真集サンタフェを出させる
- 仕事・恋愛・プライベート全てを管理
強烈なキャラクターで知られ、りえへの愛は支配的で狂気を含んでいた、と証言する人も少なくはない。「一卵性親子」と称された母子。「りえママ」と時に批判を込めて、時に称賛を込めて呼ばれた。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/b555bed2686024b8d205b4af2e9256fe572c3cbb?page=2
宮沢りえの母親「宮沢光子」とはどんな人物?
名前:宮沢光子
誕生:昭和24年(1949年)
出身:東京
宮沢光子さんは5人兄弟の末っ子で、母親は幼い頃に家を出ていき父子家庭で育ちます。
美人で容姿が恵まれていたので高校卒業後はモデルやホステスをします。
宮沢光子さんは語学を学ぼうとヨーロッパ行きの船に乗り、そこで宮沢りえの父親となるオランダ人の船員と出会います。
オランダで一緒に暮らしますが宮沢光子には退屈すぎて日本へ帰国し1人東京で宮沢りえ出産。シングルマザーとなります。
宮沢光子さんは幼い宮沢りえを姉に預け、銀座でホステスとして働きながら仕送りをしていました。
宮沢りえの母親「宮沢光子」は家庭には向かない女性
宮沢光子さんは煙草とお酒が大好きで家庭には向かない女性だったと当時の再婚相手が話していました。
その再婚相手はホステス時代に出会ったピアニストで、宮沢光子さんは宮沢りえには敢えて懐かせなかったそうです。
宮沢光子さんも再婚相手の父親も夜は仕事に行ってしまうため、宮沢りえは1人家に残される日々。近所の人が幼い宮沢りえを心配してくれたおにぎりを食べたら、宮沢光子さんは激怒。
宮沢光子さんは自分以外の人間が娘の宮沢りえに愛情をかけることも許さないし、宮沢りえが自分以外に好意を抱くというのも許せなかったようです。
宮沢光子さんと再婚相手の間に子供が生まれますが、その後離婚をし宮沢りえだけを連れて出ていくことになります。なので宮沢りえには父親違いの4歳年下弟がいます。
宮沢りえの母親「宮沢光子」の壮絶な死の結末
宮沢りえの母親宮沢光子さんは2014年9月23日65歳の時に肝腫瘍で亡くなりました。
宮沢りえは息を引き取る時にも一緒にいられ「壮絶だった」と話しています。
宮沢光子さんは以前に子宮癌にもなって手術を行なっていました。そのせいで別人のように太り感情の起伏も激しくなったりと体調的にも大変だったそうです。
宮沢りえは母親が亡くなった際に「生きるということの凄まじさ」を教えてもらったとコメントしています。
「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」
引用:https://www.huffingtonpost.jp/2014/09/25/miyazawa-rie-mama_n_5879756.html
宮沢りえは母親に肉弾接待をさせられていた?
宮沢りえは実の母親に肉弾接待・枕営業をさせられていたのでしょうか?
普通は母親が子供の芸能関係の仕事に付き添ってそういったことから守るものかと思われますが、宮沢りえの母親はなんとしても「宮沢りえ」を売り出したかったようです。
宮沢りえ19歳の時にビートたけしに肉弾接待?
宮沢りえとビートたけしは1992年に映画「エロティックな関係」とインスタントラーメンのCMで共演しています。
映画はタイトルからして既にエロティックで劇中では宮沢りえは後ろ姿だけヌードで登場します。
そしてインスタントラーメンのCM撮影はホテルに宿泊した長時間ロケだったそうです。
その時に宮沢りえの母親が「たけしさんの部屋へ行きなさい」と言ったと噂されています。
ビートたけしは「早く帰って寝なさい」と宮沢りえを傷つけないようにそっと帰したようですが。
間近で宮沢りえと母親の関係性を見て知っていたビートたけしは宮沢りえにとても優しく、現在も2人の関係は良好と言われています。
光子は雑誌『DENiM』に自分が連載するエッセイの中で、りえの目下の恋人はビートたけしだが、ふたりはまだ肉体関係を結んでいない、好きならそうなるのが自然なのにと書き、物議をかもした。ビートたけしには妻子があり、りえより20歳以上も年長である。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/b555bed2686024b8d205b4af2e9256fe572c3cbb?page=6
宮沢りえ中村勘三郎にも肉弾接待し自殺未遂?
宮沢りえは1994年に歌舞伎役者で妻子ある中村勘三郎との交際が噂されました。
それも宮沢りえの母親が「女性としてプラスとなる」と裏で動いていたと言われています。
宮沢りえの母親は相手に妻子がいようと年がいくつ離れていようと関係なかったんですね。
「勘三郎さんのような男性と付き合うことは、芸の上でも、女性としてもプラスになると光子さんは考えていた。でも、ビートたけしさんの時もそうですが、母親にけしかけられたら、男性はむしろ引きます。りえさんが交際を心から望んでいたのは、勘三郎さんとは別の若い歌舞伎役者さんだった。その人には恋人がいて完全な片思いでした」
引用:https://bunshun.jp/articles/-/44151?page=2
ちなみに宮沢りえの片思いの相手は市川右團次。
宮沢りえと母親は大喧嘩となり、京都のホテルで自殺未遂騒動を起こしてしまいました。
またその時のホテルには噂されていた中村勘三郎も泊まっていたためにさらに大騒ぎとなってしまったようです。
「サンタフェ」でヌード写真を撮らせる
宮沢りえは写真集『サンタフェ』や『ふんどしカレンダー』で当時話題を呼びました。
写真集『サンタフェ』のカメラマンは篠山紀信で、155万部を売り上げてほぼ社会現象にまでなっています。
18歳の少女をヌードにさせるなんてと父親世代、祖父世代の男性たちから非難の声もあがったようですが女性たちは好意的に捉えました。
ビートたけしも「娘をヌードにさせないのが普通の親なのに」と非難していました。
『サンタフェ』の撮影は米ニューメキシコ州のサンタフェで極秘に行われました。
初日に遠慮をしてヌードを全然撮らなかった篠山紀信に対して宮沢りえの母親は激怒したとか。
もっと宮沢りえのヌード写真を取りなさいと、実の母親が放つ言葉とはなかなか思えませんがそれほどまで「宮沢りえ」という存在を使って作品を残したかったんですね。
ある局が『サンタフェ』の発売日に写真をバンバン許可なく放映した。その時の光子さんの怒りようはなかったよ。局側は大手プロダクションに所属していないから見下したんだ。でも、ママはひるまず抗議した。『宮沢りえ』の価値を貶める相手には徹底して発言と抵抗をした。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/b555bed2686024b8d205b4af2e9256fe572c3cbb?page=5
宮沢りえは母親に恋愛も管理されていた
宮沢りえは母親に恋愛も管理されていたようです。
半数以上の宮沢りえの熱愛相手に宮沢りえの母親は何かしらの形で関与しています。
宮沢りえの母親が仕掛けてきた人物や、破局させた人物などなど。
2021年現在の夫である森田剛とは宮沢りえの母親が他界した後に結婚しています。
宮沢りえの男性遍歴を見ると年齢もタイプもバラバラでしかも妻子もち不倫なども多くあります。
宮沢りえは母親からの偏った愛のせいで人の愛し方や距離感がわからなくなってしまったのかもしれません。
宮沢りえの男性遍歴
- ビートたけし(宮沢りえ母親が枕営業強要)
- 貴乃花(婚約&破談)
- 中村勘九郎(不倫&自殺未遂)
- 市川右團次
- 中田英寿
- 幹田卓司(宮沢りえ母親の反対で破局)
- ISSA
- 市川海老蔵(宮沢りえ母親が仕掛けた?)
- 中津ひろゆき(できちゃった婚&離婚)
- 古田新太(離婚協議中に不倫?)
- RADWIMPS・野田洋次郎
- 森田剛(結婚&2021年現在の夫)
貴乃花との婚約・破局は母親のせい?
宮沢りえは貴乃花と19歳のに婚約していましたがすぐ破局しています。
1992年10月久米宏の「ニュースステーション」で婚約が報じられた1ヶ月後の11月に宮沢りえと貴乃花はピンク色の着物に身を包み記者会見を行いました。
幸せに見えたもののその2ヶ月後には破局となってしまっています。貴乃花には部屋、角界があり結婚をしたら宮沢りえには仕事を辞めてもらい女将となってもらうという条件がついてきます。
そんなのには宮沢りえの母親がもちろん黙っていません。
これから宮沢りえの女優として活躍していくという時に、仕事を辞めさせるわけがありませんし、完全に娘に依存していた母親は断固として2人を結婚させることはできなかったのでしょう。
そんなことがあっても宮沢りえは決して母親のことを悪く言うことはなかったです。
「さみしかったんでしょう。りえさんは幸せそのもの。愛する人に夢中で自分の声が届かない娘を見るのが光子さんは辛い。恋人と長電話をするりえさんに激高することもあれば、気弱さを見せることもあった。りえさんも、そんなママを見ると不安になり、さびしくなる」
引用:https://bunshun.jp/articles/-/44151?page=2
妊娠・結婚するも母親に反対され離婚?
宮沢りえは2009年36歳の時に中津ひろゆきという人物とできちゃった結婚をしています。
宮沢りえが2007年にCM撮影のために訪れたハワイでコーディネーターをしていた中津ひろゆきと意気投合し交際へと発展。
中津ひろゆきという人物はハワイ在住、元プロサーファー、サングラス「オークリー」と手掛けていた実業家です。
女優の宮沢りえ(36)が今月上旬に米ハワイ在住の元プロサーファー(41)と婚姻届を提出していた。また、2日には東京・青山で互いの親族とごく親しい友人数人だけを招いて挙式した。りえが36歳の誕生日を迎えた6日には都内でバースデーパーティーが開かれ、母親の光子さん(60)も祝福に駆けつけたという。
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/04/15/kiji/K20090415Z00001520.html
宮沢りえの母親はこの時パリにいましたが大急ぎで日本に駆けつけたと聞きます。
ただ初孫ができたのは嬉しいことですが、宮沢りえの母親はこの結婚に関しては一貫して反対。
宮沢りえの母親は自分が選んできた相手じゃない男と勝手に結婚するなんて許せなかったのでしょう。
結局この結婚生活は3年で不仲説が流れるようになり、親権問題と離婚協議中に宮沢りえが古田新太と不倫していたと噂されたことにより離婚協議が長引いてしまったそうです。
宮沢りえ母親が他界後にV6森田剛と結婚
宮沢りえは母親が他界した後にV6森田剛と2018年に結婚をしています。
宮沢りえと森田剛は2016年8月の舞台での共演をきっかけに交際が始まり、周囲に隠すこともなく堂々と交際を続けました。
元夫との間に生まれたアロハちゃんが森田剛のことを「パパ」と呼びだしたのが再婚を決意したきっかけと話しています。
宮沢りえの母親はこの結婚に素直に喜んでくれているといいですね。
宮沢りえ自分が母親となって変わった?
宮沢りえの母親はひどいクズ親でいわば「毒親」でしたが、毒親育ちの宮沢りえは現在どのような母親になっているのでしょうか?
毒親育ちの特徴として「結婚や家庭を持つのが怖くなる」というものがあるようですが、現在宮沢りえは結婚をして幸せそうなのでよかったです。
毒親育ちの特徴
- 結婚や家庭を持つのが怖くなる
- 自分の感情や価値観、好きなものがわからない
- 自分に自信がない
- 情緒不安定・塞ぎ込んでしまう
- 周囲の期待に応えようとする
- 人の顔色を過剰に伺う
宮沢りえはどんな母親
宮沢りえは2009年5月に娘のアロハちゃんを産んでいます。
父親はハワイ在住の中津ひろゆき。2012年当時まだ2歳のアロハちゃんを連れて家を出て離婚協議に入りました。その4年後2016年に離婚が成立。
宮沢りえは自分の母親と同じようにシングルマザーとなったわけです。
宮沢りえは「自分の娘には絶対寂しい思いをさせたくない」といつも一緒にいられるように努力していると話します。
- 運動会では保護者の綱引き合戦に参加
- 舞台の稽古などへも連れて行く
- できるだけ一緒に過ごすようにしている
宮沢りえは自身の母親と同じことを娘にしてる?
宮沢りえの母親は自分の恋愛に100%捧げるか娘に100%捧げるかのどちらかしかにしかできない不器用な人だったのかもしれません。
好きな男性と上手くいかなくなって日本に帰ってきてからは狂ったように一人娘の宮沢りえに愛情を注ぎました。
宮沢りえの男性遍歴はすでにお伝えしていますが、その他にも離婚後にも俳優の小久保寿人や劇作家の赤堀雅秋らとの『お泊まり愛』が週刊誌で報じられたりしています。
宮沢りえは自分の母親と同じようにシングルマザーになり、恋愛もして、もしかしたら娘に寂しい思いをさせてしまっていたこともあるかもしれませんね。
少なからず宮沢りえは自分の母親と同じような道を歩んで行ってしまったのかも。
しかし森田剛が現れてくれたことによって、現在は3人家族幸せに生活ができているようで本当によかったです。